




主宰する制作集団・出版版元「いぬのせなか座」の思想的背景を明らかにすると同時に、立ち上げから現在まで培われてきた言語表現ならびにデザイン/レイアウトをめぐる議論を集約。小説、批評、詩歌、デザイン、美術、写真、映画、上演……多種多様なジャンルを行き来しながら言語表現の技術や意義を再定義し、「新しい制作」の、さらには「この私の生」の可能性を拓く、鮮烈な思考と実践と実験の書。
<目次>
本書の構成と使用法
はじめに──ここにあるアトリエ
資料 新たな距離とはなにか──いぬのせなか座の開始にあたって
Ⅰ イントロダクション
生にとって言語表現とはなにか──保坂和志と表層の手前側のリテラリズム
Ⅱ 私の所有、宇宙の配置
新たな距離──大江健三郎における制作と思考
Ⅲ 物と空
日記と重力
句(集)によりオブジェ化された時空らが上演する制作のデモクラシー──福田若之『自生地』
The Process in Question──貞久秀紀の詩作
生(活)の配置、〈調べ〉の気づき──必然の混雑なる場をもたらす詩の形式について
『灰と家』を上演するための4つのノート
物化するプロセス、閉鎖から滲み出る距離、遍在する家々の期待
閉鎖性を条件とする《空》の相互観測とアニミズム──私の新たな身体の制作に向けたふたつのルートの仮設計
空白の料理──最果タヒにおける私の部屋の配置、ならびに積みあげられた実験場で見られる新たな系の制作
補遺:最果タヒ著作解題2007-2017(いぬのせなか座(鈴木一平+なまけ+山本浩貴))
Ⅳ 喩と遍在
制作的空間と言語──「あそこに私がいる」で編まれた共同体の設計にむけて
補遺:世界の実験を一本の線が代行する──荒川修作『Still Life』
補遺:オブジェと私、書物とアトリエ──瀧口修造の「新しい主観性」
Ⅴ 紙面という舞台
詩(集)にとってデザイン/レイアウトとはなにか──河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』(いぬのせなか座(鈴木一平+なまけ+山本浩貴))
現代詩アンソロジー 認識の積み木」制作ノート
眩暈の構築──野村喜和夫『妖精DIZZY』(鈴木一平+野村喜和夫+山本浩貴)
言語表現の運用に「紙の出版物」はどう有効か?
世界の配置、鉱物化された奥行き/生──加藤広太『目前に立ち現れる』
より演劇的かつ仮設的な〈舞台〉で。──三野新『クバへ/クバから』、あるいは背景としての同名プロジェクトについて
補遺:紙面レイアウトにより上演されたルポルタージュ──東松照明と名取洋之助における公共と私性
Ⅵ 掛け合わされた孤絶の距離
アトリエのためのメモ
絶望とモデル──大江健三郎におけるアトリエ
あなたを演じる場所──三野新『外が静かになるまで』
死からの視線──清原惟『すべての夜を思いだす』
書くという演技──山下澄人『FICTION』
すべてはそこから始まったはずなのだ、とさえ思える鮮烈な光景の記憶、何が鮮烈なのかさえ不確かなのだが……──戸田ツトムにおける擬場
おわりに
初出一覧
索引