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<文庫>沖縄に六日間 / 図Yカニナ

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沖縄への家族旅行、六日間の記録。わたしと夫、五歳と四歳の息子たち。 初日1日分の試し読みは以下。 一月三日(火) もしかしたら道がすごく混んでいるかも、急な寄り道をせざるを得なくなるかも、思いもよらない何かによって焦る可能性があるかも、と子連れの旅行によくある万が一のなにかに備え、早めに自宅を出発したのだが、想定外に道が空いていたり、起こるかもしれなかった予定外のことが全く起きなかったりで、ずっと早く着いてしまった。  一月六日のわたしの誕生日プレゼントに、と今年は沖縄へ家族旅行に行けることになった。羽田空港に着いたのが午前九時ごろで、フライト時刻は午後一時台だった。ひとまずチェックインと機内預け入れ荷物の手続きは夫に任せ、わたしは車移動から解放されて遊ぶ気満々の五歳児と四歳児を連れてひとまず空港内を散歩することにした。色分けされた床のタイルを奪い合うようにして二人は交互にぴょんぴょんと飛びながら進み、エスカレーターの登り口ではいちいちどちらが先に乗るか、どちらがママと手を繋ぐかと揉めていた。それなのに降りるときには繋いだ手をパッと離して渾身の大ジャンプをするのでわたしはわたしでどこかの誰かから放任主義の親だと思われるのを恐れてわざと大きめの声で逐一注意した。わたしたちは上階に並ぶフードコートのレストランの前をお肉、うどん、お寿司、と指をさして叫びながら次々と物色して歩いた。途中、パパはどこかな、と吹き抜けになった手すりから一階を見下ろすと、空港はお正月らしい賑わいになっていた。忙しなく歩き回る人々の中で、大きく畝った行列は蛇花火の跡のようにうずうずとした黒い固まりとなっていた。その群集の中に夫の頭を見つけた。前後左右をたくさんの人に囲まれているのにまるで一人でいるように見えた。パパー、と大きくも小さくもないが決して届くはずのない声量でわたしが手を振ってみせると次男が続いて、パッパー! と幼児らしいなんの配慮もない大声で叫んだ。しかし夫は声には気づかずに携帯の画面を触っているのか下を向いたままでいた。それが何かしらの不安な気持ちと連動したのか眉間にぎゅっと縦皺を寄せた長男が、早くパパのところに戻ったほうがいいんじゃない? と言ったのでわたしたちは元いた場所へ戻ることにした。  夫が大きなトランクを二つ預け終えたところで、まだ十時台だった。屋内の展望エリアで「羽田恐竜空港」という催しが行われていて、擬人化されたフクイラプトルの人形が白衣を着てベンチに座っていた。「ぼくは福井県からやってきた恐竜博士だよ!」と書かれた吹き出し型の紙が貼られていた。その隣側はちょうど一人座れるくらい空いており、並んで写真が撮れるようになっていた。奥にもいくつか恐竜の人形が飾られており、やはり時間を持て余していそうな大勢の親子がそれぞれにゆらゆらと歩いていた。背中に鞍を付けた機械式の恐竜は五百円で二分間動くとのこと。うちの子と同じくらいの小さな男の子が跨っていた。男の子が前後にゆっくりと揺られている様子をその家族が携帯で撮っている。うちの子どもたちもやりたそうだったが、あれをやるとジージにもらったお年玉がなくなっちゃうよ、と言ったり、ほらあっちの飛行機飛びそう! と窓の外を見せたり、たまに交代でお手洗いに行ったりしているうちにうまく気がそれたようだった。  外を眺めているといくつもの飛行機が飛んでいったが、ほとんどの飛行機はなかなか飛ばずにジリジリとポジションを変えているだけのように見えた。ある機体にはポケモンのキャラクターが描かれていた。長男が先に見つけ、続いて次男が見つけた。あれに乗りたいと言い出したらまずいなと思ったが、意外にもそうは言わなかった。自分たちが飛行機に乗ることと物体としての飛行機の存在とが結びついていないのかもしれない。  十一時を回ったころ、何がきっかけか次男が徐々にぐずり出してきたこともあり、早めのお昼ご飯をとることにした。結局いつも早めの昼食や夕食を取っているのでもはや早めではないかもしれない。何度か入ったことのあるお寿司屋さんに入った。子どもたちには納豆巻きとフライドポテト、大人は普通のより少し上等の握りのセットを頼んだ。この店は店員さんが子連れに親切で感じがいい。食べ終え、再びお手洗いを済ませ、手荷物検査場を抜けてもなお、時間があったのでコーヒーを買いにタリーズに行った。動く歩道は子どもにとっては楽しすぎるようだった。タリーズで注文の列に並んでいると、子どもたちがこれも買って! とジュースのパックを持ってきた。面倒なので、いいよ、と受け入れる。後ろに並んでいた女の子も、買って! とその父親にねだったが却下されたようだった。みんな買ってるのに! と食い下がっているのが聞こえた。買ってもらったジュースのパックを勲章のように掲げた息子たちは、動く歩道の先を目がけて転がるように駆けていった。全身全霊で楽しくて堪らない様子。  搭乗までにはまだ時間があったが、待合はすでに混みはじめていた。窓辺の端に並び席が空いているのを見つけ、三席に四人で座り、早く早くと急かされながら買ったジュースのパックにストローを差して二人に飲ませる。落ち着いたのも束の間ですぐに長男がトイレ、と言うので夫に任せようとするとオムツの次男も行きたいと言うので一緒に行かせる。三人がお手洗いに立つと程なくして六十代くらいの男性がわたしの隣席を一つ開けて座った。そこへお手洗いを済ませた三人が戻ってきた。すかさず次男が、そこぼくが座ってたとこだよ! と男性に向かって言い放つ。わたしたち夫婦はすみません、と言って次男をこちら側へ呼び寄せる。男性は一度ちらりと目をやったが何を言うでもなく微動だせずに座っている。混んではいるがほかに大人一人が座れる空席はいくらでもある。男性はびくともせずにバッグから出した文庫本を読みはじめる、足を組むと茶色い合皮の靴の底がこちらを向いた。わたしたち家族は残った二席を使う。二席にわたしと子どもたちが三人で座り、夫は窓の縁に腰掛けた。横目で男性を見ると耳の後ろから襟足に向かう黒々とした髪が不自然に途切れている。たぶんカツラだ。  時刻になり搭乗を済ませ、気圧対策の耳栓をするとわたしは催眠術でもかけられたかのように離陸前にはすとんと眠ってしまった。目覚めると、子どもたちはわたしと夫の間の席で大人しく携帯でアニメを観ていた。持ってきたオヤツをちょこちょこ与えながら夫が時間を繋いでくれたようだった。夫は本を読んでいた。着陸までまだ一時間ちょっとあったので、夫に向かって本を開くジェスチャーをすると、一度うーんと首を傾げてから一冊の本を手渡してくれた。夫はいつも何冊も本を持って移動しているのでこういうときに助かる。何が出てくるかはわからない。渡された本は数ページずつ、違う著者によって書かれたものだった。飛ばし飛ばしめくっては目に留まった読みやすそうなところを読んだ。ジャクソン・ポロックの絵の具の飛び散らせは偶然のようでいて極めて身体的に意図されたものであること、それはカウボーイにとっての縄のようなものだというようなことが書かれていた。他の章では森で朽ちずに切り出され、加工された木材は生きているか死んでいるかということについて書かれていた。突然の運命によって読まなくても構わなかったものを読み、知る予定のなかったことを知り、ふむと思うと、わたしたちは那覇空港に着陸した。  過密な機内の列を抜け搭乗通路に出た。新春だからか、窓辺には鮮やかなピンクや紫の蘭の鉢植えが等間隔で飾られていた。いつか見た幼稚園のお遊戯会や小学校の卒業式を彷彿とさせる。お手洗いを済ませ、コンベアから預けた荷物を引き上げ、再び誰かのお手洗いを済ませ、レンタカー屋の送迎バスの乗り場まで移動し、バスに乗り込み、四人ともが着席したころようやく、やっぱりあったかいね、とわたしは夫に声を掛けた。それから夕飯の相談をした。すでに日が暮れかけており、とりあえずレンタカーに乗ったら近くでソーキそばかタコライスでも食べようということに決まった。  レンタカーの手続きを済ませ、荷物を詰め込み、子どもたちを乗せ、夫が目星をつけていたタコス屋に向かった。休みだった。閉められた店の外に豪華なお正月飾りが置かれていた。お正月だもんねぇ、となるべく明るい声で言った。それならこっちのソーキそばが食べられそうな食堂にしようか、と言って向かったところも休みだった。看板だけが煌々と照らされていた。間もなく十八時。あと何分? まだ着かないの? と後部座席の子どもたちがわめいている中、Googleマップで表示されたもう一軒のタコス屋を目指した。最悪、今夜はチェーン店でもファミレスでもいいよね、と言いながら車を走らせる。細い路地を抜け、小さな交差点に差し掛かると、店先にOPENの文字が見えた、営業している。案外すぐにありつけたし、しかもタコス屋だなんて、わたしたちは本当にツいている。カフェ風というのか西海岸風というのか、小ざっぱりした内装の店で、木でできたアルファベットの置物が飾られていた。隅の一角には子ども用の絵本が詰められた本棚があった。子どもたちにはキッズタコライスを、大人はチーズタコスとノンアルコールビールを頼んだ。未知の料理が苦手な長男も最初こそ眉間に皺を寄せていたがペロリと完食し、これ好きな味だった、と言った。脂分の少ないあっさりとしたタコスだった。  店を出るとすっかり夜の空だった。駐車場で次男のオムツを替えていると夜風が通っていった。やっぱり沖縄はあったかいなと思った。車が動き出すとすぐに子どもたちはころんと眠ってしまった。宿は沖縄本島の右側、真ん中より少し下ほどにあるうるま市の宮城島というところのエアビーをとっている。市街地を抜け、高速道路を走り、また市街地に入った。道路標識に書かれた読み慣れない漢字の地名を大事に集めるようにして目で追う。  一時間ほど走ったところでひとまず必要な食材を買うため、マックスバリュに寄った。夫と子どもたちは車内で待ってもらい、わたしだけが店へ。旅先で入る、巨大チェーンのスーパーマーケットはまるで偽の現実のようだった。清潔な蛍光灯の光が白々と降り注ぐ店内では皮膚や髪や洋服の毛羽立ちまでもがよく照らされていた。野菜や果物はふだんの感覚からするとずっと高く、それなのに見るからに傷んでいるものが多かった。沖縄そばを買おうと思ったがめぼしいものが特になかったのでやめ、楽しみにしていたゆし豆腐も工業製品のようなものしかなかったのでやはりやめた。お正月用のオードブルが半額になっていて、パステルカラーの具材が均等に挟まった小さな三角のサンドイッチが円盤型のプラスチック製容器にたくさん詰められていた。少し迷ってやめた。納豆、お煎餅、卵、ピーマン、ミニトマト、冷凍のピザ、紅芋の串団子、海苔、じゃがりこ、ビール、パン、レンジで炊ける白米のパックを買う。店を出ると、運転席に座っている夫が、両手にビニール袋を下げたわたしのことを写真に撮ろうとしたのでわたしも少し体を傾けてポーズをとった。正直疲れていたが、陽気にしていれば大丈夫なこともある。  宮城島はそこからさらに車で二十分ほど。本島と宮城島とを結ぶ海中道路に差し掛かると夫が楽しげな口調で、ほら両側が海だよ、と言うのでわたしも、わあ海だ〜、とはしゃいだ声で答えた。両側とも真っ暗だった。真っ黒で広大な溜まりのずっと向こうにぽつぽつと本島岸の市街地の灯りが光っていた。広島出身の友人が以前、夜の瀬戸内海は真っ暗で何も見えなくて、だけどそこが海だと当然知っているからその暗闇を見て海だと思う、というようなことを言っていたのを思い出した。現在彼女は長野県御代田町に暮らしていて、夜に自宅の窓から見える真っ暗な森を見たときにも地元の瀬戸内海のことがよぎると言っていた。宮城島の人も波一つ見えないこの黒い広がりを海だと感じるのだろうか。海中道路を通り抜け宮城島を少し走ると、石油基地が見えてきた。無機質な灯りの中に巨大なホールケーキのような鶯色のタンクがいくつもいくつも並んでいた。そこからさらに奥へと向かった。道幅は徐々に狭くなり、ヘッドライトが車道沿いの野生の植物を明るく照らすほど、照らされていない道の奥が暗い永遠のように感じた。通ってきた後ろの道も今や深い闇になっているだろう。怖がりの長男が寝ていてくれてよかったと思った。緩やかな上り坂だった。登りきったあたりで暗がりの隅に宿の場所を知らせる小さな青い看板を見つけたときにはかえって恐ろしさを感じた。車体に草が擦れるような細いあぜ道を抜けると砂利が敷かれた小さな駐車場があり、到着したということだった。重いトランクと細かないくつもの荷物、それに眠る子ども二人を段取り通りにてきぱきと宿へと運び込んだ。    宿は古い民家をリノベーションしたものを一棟借りしている。組み木作りの門扉の足元には先ほどの道すがらにあったのと同じ青色の看板とバリ風の置物があり、橙色の小さな灯りが当てられていた。事前にサイトで見ていたものの、実際に目にする室内は写真以上にオーナーの強いこだわりを感じるものだった。玄関脇には何本もの流木をアレンジした天井まで届くほどの高さのオブジェが立てられており、部屋のあちこちには柱状のクリスタル原石の置物やインドの文字が円状に書かれた魔除けらしきものが配置され、キッチン頭上の神棚には有名な神社のお札が備えられていた。お手洗いの手製の扉にはビスで五芒星が打たれている。リネンのテーブルランナーが敷かれたダイニングテーブルには四人分のお皿とシルバーのカトラリーが丁寧にセットされ、その中央に大きなキャンドルとドライフラワーが挿された大きな花瓶が二つ飾られている。木製に統一された家具と調和をとるようにキッチン台と換気扇のフードカバーには几帳面に木目調のシートが貼られている。キッチンに置かれていた小さい半透明の小石のようなものが詰められたガラスのボトルには、水道水を浄化できます、と手書きのメモが貼られている。それを見て、さっきのマックスバリュでミネラルウォーターを買い忘れたことを思い出した。目玉のような丸いモチーフを中心に月の満ち欠けの様子が描かれた壁掛けや、瞑想で使いそうなインドっぽい金物の打楽器もあった。クリーム色に塗られた土壁は天井四隅の角部分を全てアーチ状に固められていた。それまで寝ていた子どもたちも見慣れない部屋に到着したことで目が覚め、リビングや寝室、お風呂、お手洗いと次々に戸を開いて探索している。隅に置かれていた大きなカゴいっぱいに詰め込まれたウルトラマンや怪獣の人形を見つけ、ひとつずつ取り出しては盛り上がっている。  ああ無事に着いた。寝室の壁の窪みに置かれたいくつもの電池式のキャンドルを一つ一つ消して横になる。布団の中で長男が、なんかここ怖い、と呟く。怖くないよ、ここにいるのは全部神様だから大丈夫だよ、と答える。カーテンのない窓越しに覗く裸子植物の葉っぱの大きな影を見ないようにして目を閉じる。ついに沖縄旅行がはじまった。

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