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<文庫>白夜日記 / 図Yカニナ

990円

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6月、白夜の季節を迎えたフィンランドから、エストニア、ラトビアへ。家族4人+友人夫妻の6人旅(の前半)を、まるまる追体験する13万字。 初日1日分の試し読みは以下。 五月三〇日(木)  よその新婚旅行についていくなんてお邪魔でしょう、と周りの友人たちからは笑われたり揶揄されたりしたけれど、たしかにそんな言い回しをしてみたことはあったもののあくまで冗談であって、実際のところただ偶然にテーブルのうえにあがった妄想話から、わたしたち家族四人は鴻野夫妻という、近所に住む新婚の二人と共に旅にでることとなった。フィンランドから、エストニア、ラトビア、リトアニア、再びフィンランドへと回る。    もう閉じていいね? と夫に聞かれ、頷く。スーツケースがひとつずつ、バタン、バタン、と閉じられていく。三つすべてが閉じられると、なんともいえない、抱えきれない喜びが湧いてきて、うっと涙がでた。わたしの人生に、家族で海外旅行に出かける日がやってきた、それも一ヶ月間、それも四ヶ国。わたしはこんなうれしい人生になると思わなかったよ、ありがとう、と夫に言うと、カンナちゃん、まだ家だよ、と言って夫が笑った。やっぱりこれも入れてこ、とうちでいちばん大きいトートバッグもスーツケースに追加する。これできっと大丈夫。  家の窓の鍵がすべて閉まっていることを確認してから、すべてのカーテンをぴっちり閉め、すべての照明を消す。逆にここだけは点けとこっか、と物置部屋の電気だけは消さないでおく。一ヶ月も家を空けているのが外から見てバレバレになりすぎるのはよくない気がする。家の鍵は、御代田の友人ゆうすけくんにあらかじめ渡してある。ゆうすけくんには、万が一のなにかに備えて、週に一度、家の様子を見にきてもらうようにお願いしている。車に荷物と子どもを詰め込む。  成田に向かう前に隣町のケーズデンキに行かなきゃ、と夫が言う。足りないものがあるらしい。コンセントにさす海外対応の変換プラグは事前に二つ買ったのを見たけれどなんだろうか。車で子どもたちと待っていると、さっと買い物を済ませた夫が戻ってきた。差し込み口のたくさんついた電源タップを二つ持っている。これあったほうがいいと思って、と言う。夫はこういうものの手配が得意だなあと思う。  もうすぐ十五時。遅めの昼食をとる。最後の日本でのお昼ごはんなにがいいかな、と話す。大戸屋行くほどは時間ないよね、と言うと、すき家は? と夫が言う。七歳の長男が、スキヤってなに? オレ、スキヤっていやなんだけど、と言う。夫が、ごはんの上にお肉がのってるやつだよ、絶対好きだから大丈夫、とバックミラーで後部座席を見ながら言う。五歳の次男は得意気に、オレはスキヤでもいいよ、と言う。子どもたちにとって、今日が初めてのすき家体験となる。しかしすき家だと思って向かった先は、なんと松屋だった。松屋もおいしいから大丈夫、と夫とわたしで声をかける。子どもたちはゼリーとジュースのついたお子様用のカレーのセットを食べたがったのでそれをひとつずつと、それだけでは量が足りなそうなので、分けて食べる用の牛めしをひとつ、あと野菜がないのでサラダも注文した。夫は牛めし、わたしは鬼おろしポン酢牛めし。席について、ついにはじまったね、と言うと、夫が、まだ佐久市だけどね、と答えた。わたしは結婚してから初めての、八年ぶりの海外旅行。昂ぶる思いと共に牛めしを噛みしめる。  高速道路に乗る。予定だと成田空港に十八時半集合。ちょっと過ぎそうだからゆうくんとあさちゃんに連絡してくれる? と運転中の夫が言う。ゆうくんとあさちゃん、つまり鴻野夫妻は、今朝早くに長野県を出発して、ゆうくんの実家がある横須賀に寄ってから合流することになっている。ゆうくんのお父さんの病状がここのところ優れないらしく、旅に出る前に会っておきたいのだと言っていた。あわせてゆうくんのおばあちゃんにも会ってくるらしい、ゆうくんのおばあちゃんは今年百歳だという。わたしたちはこれから一ヶ月もの間、滅多なことでもない限り、日本に戻ってくることはない。    去年の暮れ、我が家に近所の友人たちを招いてホームパーティーをやった。そのときそこにいた誰かが、外国に行くならどこがいい? と言ったので、ひとりずつ国名を答えていくことになったのだが、そこでたまたま最初に答えたのがあさちゃんだった。あさちゃんが、うーん、フィンランドかなー、と答えたのを聞いたわたしはつい、わたしも! とかぶせるように言った。軽いノリではあったものの、それは間違いなく本音で、フランスもスペインもメキシコも気になるけれど、フィンランドはいつか行ってみたいと思っていた国のひとつだった。ムーミンは好きだし、サンタクロースも好きだし、北欧というのもなんとなく好きな気がする。ゆうくんの仕事は家具職人だ。ゆうくんがフィンランドのアアルト大学というところに少し前に一年半ほど留学していた経験がある、ということもそのとき初めてちゃんと聞いたのだと思う。フィンランドなら僕、案内できますよ、とゆうくんが言って、お酒の勢いも相まり、いいじゃん、行こう行こう、みんなで行っちゃおう、と盛り上がった。そんな飲み会があった数日後、まさかと思いながらも夫に、ほんとにフィンランド行く? と聞いてみると、ゆうくんたちがいっしょならいいんじゃない、と即答したので驚いた。え、行けるの? どれくらい行けるの? 仕事休めるの? と聞くと、うーん、仕事していいならせっかくだから一ヶ月とか、と言うのでさらに驚いた。夫は基本的には超慎重派であるのだけれど二、三年に一度、こういう突拍子もない大計画を言い放つときがある。今回がそのタイミングだったようだ。はやる気持ちで鴻野夫妻にも、ほんとにフィンランド行く? とメッセージを送ってみる。ゆうくんからの返事には、行くなら六月の夏至の時期がベストです、と書かれていた。そこからはうそみたいにトントン拍子に話が進み、年が明けた二月くらいからは夜な夜なzoomをつないでは、旅程や航空券や滞在先のことを話し合う、という名目のオンライン飲み会を定期的にやったりして、突然ふってきた海外旅行の計画を進めながら、わたしたちは少しずつお互いの距離を縮め、ようやく今日を迎えたのだった。    でもさ、二人のことは好きだけどね、いいひとたちだけどだよ、実際正直なところ、そこまですごい仲良しとかじゃないじゃん、家で飲んだことはあるけどね、でもそれで一ヶ月一緒ってどんな感じになるんだろうね、とわたしが言うと夫は、いや、まあ、大丈夫でしょう、だって、あさちゃんとゆうくんだよ、と言った。子どもたちは後部座席でくったりと眠っている。  成田空港第二ターミナル、ユニクロの向かいで待ち合わせ。夫が車を駐車場に置きにいっている間、わたしと子どもたちは先に待ち合わせ場所近くのベンチに座って待機することにした。子どもたちは早速タブレットを取り出して、マイクラをやっている。一方、空港の天井からは巨大な縦型の画面がぶら下がっている。空港に着陸する飛行機、夕闇に浮かぶ飛行機の光の軌跡、芸者、刀を交える侍と忍者、驚き顔をする外国人の家族、ねぶた祭り、五重塔、満開の桜、歌舞伎役者、空手をする人々、原宿系の若者、屋形船、人力車、獅子舞、富士山がうつしだされ、最後に、Enjoy my Japanという言葉が浮かびあがった。思わず全部見てしまう。全員が集合できたときには十九時を過ぎていた。御代田ではちょくちょく会っているメンバーだけれど、まさか成田空港でこうして会うことがあるだなんて思っていなかった。やっほー、と言って歩いてくるあさちゃんを見たとき、クラスの子と隠れて付き合っているのと似たような、少し照れくさいような気持ちになった。いよいよだね、とあさちゃんに言うと、うん、いよいよだね、とあさちゃんはわたしの言葉を繰り返した。全員のスーツケースと荷物を二つのカートに山盛りにする。  夫とゆうくんがチェックインの行列に並んでいる間、わたしとあさちゃんは交代で出国前最後となる買い物に行くことにした。わたしはマツキヨで日焼け止めを買い、あさちゃんは無印良品で機内用のネックピローを二つ買った。あさちゃんが戻ってきてからもまだ夫たちの手続きが終わっていないようだったので、再度子どもたちをあさちゃんに見てもらい、わたしはセブンイレブンで焼き海苔を二パック買った。    荷物の手続きが済み、次は税関へと向かう。ゆうくんが両手を子どもたちとつないで先を歩いていく。その後ろを夫が、その後ろをわたしとあさちゃんが歩く。あさちゃんが昨日起きた夫婦喧嘩の話をしてくれる。その発端があまりにも些細なことだったので、えーそんなことでー、と言って笑う。  窓口に並ぶ。夫が一番目に行き、次に長男、次男、と子どもたちを一人ずつ職員の前に立たせる。親であっても離れていなければならないのでどことなく緊張する。先に通り抜けた夫も心配そうに子どもたちの様子を見ていたが、子どもも大人も難なく、サクサクと通過できた。    出国検査を終え、フードコートで最後の日本食を食べることにする。客席は外国人ばかりのように見える。温玉ぶっかけうどん一三二〇円、特上天ぷらうどん三三〇〇円、もりそば八八〇円、生ビール八八〇円。これでもなるべく価格の低いものを選んだのだが、なかなかの高値。これ、ゲート入る前に食べるべきだったね、とみんなで苦笑いをする。  食事を済ませたあと、搭乗口付近のお手洗いの列にひとりで並んでいると、後ろのひとが突然、「かお」と言ってきたので驚いて振り返ったらそこにいたのはあさちゃんだった。今のうちに顔を洗ってメイクを落としてしまうかどうかをわたしに聞きたかったらしい。知らないひとだと思ってすごいびっくりしちゃった、と言うと、あさちゃんは、ふふと笑った。あさちゃんはほんの数ヶ月前まではわたしに敬語で話していたけれど、いっしょに旅に出ることが決まってからは意識的にわたしたち夫婦とタメ口で話すようにしてくれている。あさちゃんがそう自ら宣言してくれた際に、わたしのことも、カンナさんではなく、カンナちゃんと呼ぶように変えますね、と言ってくれたのだった。おかげで以前と比べれば、呼び方も話し方も随分くだけてきてはいるとは思うけれど、今日の今日まで、わたしたちが二人きりになったことは一度もなく、こうして知らないひとのなかで二人でお手洗いに並ぶ程度のことでも、なんとも言えないうっすらとしたぎこちなさを感じるものだなと思った。  結局顔を洗う間もなく搭乗時刻となり、子どもたちをせっつきながらフィンエアーと共同運行しているカタール航空の飛行機に乗り込む。中東のドーハというわかるようなわからないようなところでトランジットし、目的地であるフィンランドへと向かうらしい。トランジット、響きがかっこいい。席順は窓側から、長男、次男、夫、通路を挟んで、わたし、あさちゃん、ゆうくん。座るやいなや、わたしは鴻野夫妻の隣でメイク落としシートでこそこそと顔を拭き取り、小袋に入った試供品の化粧品とクリームを塗った。初めて二人にすっぴんを晒すことになるので、自分の顔がどう思われてしまうのか気にはなるけれど、あえて普通に振る舞うようにした。横であさちゃんも顔を拭いている。幸いにも機内は薄暗かった。薄暗いだけでなく、どういう趣味なのか、機内の照明は紫がかったピンク色をしている。化粧を落としきった直後、一瞬ゆうくんがグイっとこちらを見て話しかけてきたので、悪い意味でどきりとした。二十二時十五分、予定より十五分も早く飛行機は離陸。すぐに機内食の時間になった。牛肉の甘辛煮、ごはん、花の形に切られたにんじん、サツマイモ、ブロッコリー、マカロニサラダが区分けされた四角い箱の中に入っていた。デザートはカップ入りのチョコレートムース。あさちゃんの友人が国際便のCAさんらしく、機内食はカロリーがすごいからCAさんたちは絶対食べないらしいよ、と教えてくれた。わたしたちは食べるが、たしかに毎日この食事を目にしていたら食べたくもなくなるだろう。飲みものはスパークリングワインを注文し、鴻野夫妻と乾杯をしてから、斜め後ろで子どもたちと窓側の席に座っている夫のほうを向いて、プラスチックカップを見せて、乾杯、と小さな声で伝えると、夫はビールの缶を少し持ち上げて、かんぱい、と口を動かした。  ガクンと寝ていたら肩をちょんちょんと夫につつかれた。しばらくすやすや眠っていたらしい次男が、ママ、とぐずつきはじめたらしい。寝ぼけ眼のまま、はいはいと席を変わる。

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